sideburnzzのブログ

転職支援会社勤務。細く長く浅く広く生きています。特技は壁にぶつかるともっときついことに挑戦しようと、トレイルランニングやウルトラマラソンの大会にエントリーすること。

絶望手帖

成功した人の発言、希望や夢が世の中に溢れていますが、実はその裏には、コンプレックスや、弱音、逃げ出したい気持ち、虚無感など沢山の人々の負の感情が隠れていてる。人間は「希望」よりもむしろ「絶望」とともに、それを乗り越えながら歴史を歩んできたから、古今東西の絶望を一挙に集めたらそこから学ぶことが多いのではないか、ということで出版されたのが本書。

絶望手帖

絶望手帖

 

 歴史上の偉人、現代の有名人、twitterで発信された一般人の投稿など、219点もの絶望的な言葉が紹介されているという、起業家、家入一真さんによるユニークな作品です。印象的だった言葉をいくつか紹介していきます。

 

“社是社訓、経営理念、経営計画、戦略はないです。朝礼も会議もない。人間は、元々先を見通す能力なんてないんですから。”

矢野博丈(実業家 大創産業 創業者)

 

あの100円ショップ「ダイソー」創業者の言葉です。ダイソー矢野氏のネガティブ発言は、以前色々なメディアで面白おかしく紹介されていたのが印象的だったのですが、それは「ネガティブさ」ではなく「謙虚さ」の表れなんじゃないか、先を見通した経営判断をしている優秀な経営者なのだと、紹介されたタイで現地の人々に絶賛されているという記事がありました。

 

”13. 「イトーヨーカ堂の会長に自社商品を見せたらものすごい怒られた。 『こんなもの作ってたら後3年で潰れるぞ、商品に魂を込めろ』と。」”

これには笑ってしまいました。

 

”使わない鉄は錆びる。水は淀むと腐り、寒さには凍結する。同じように、才能も用いなければ台無しになる。”

レオナルド・ダ・ビンチ(芸術家/科学者 『レオナルド・ダ・ビンチの手記』)

 

自分に才能があれば、、と嘆くのは才能を磨いたり活かす努力をしていない証拠だという思いで綴られた言葉なのでは、と。思い悩んで立ち止まるのはなく、考えて行動し続けることが大切なのだと思い知らされる言葉です。錆びや淀みに気をつけないと。

 

”我が身の不幸を、簡単に嘆くな”

堀江貴文(実業家『0311再起動』)

 

”「寝不足だ」「疲れてる」と「元気がない」と「おもしろくない」と「生きる気力がない」とは全部ちがうことなのだけど、往々にして、あたまはそれを取り違えることがある。「あんたは、疲れてるだけじゃないか」と言ってやりたい。”

糸井重里(コピーライター『ぽてんしゃる。』)

 

自分はダメなんだと思い込みすぎると、ふさぎ込んでしまい、気持ちまで暗くなってしまいますね、疲れをとって気分転換、心機一転がいちばんだと思います。

 

”私たちは失敗をすると、4000万もの言い訳を言えるもの。お詫びの一言はない。”

キップリング(作家)

 

ハッとさせられます。年齢と経験を重ねるにつれて、言い訳も上手くなる。どうしたら失敗を次の成功に結び付けられるか考えるよりも、失敗を認めずその場の苦しい状況をどうしたら乗り切れるか、どうしたら正当化できるかに一生懸命になってしまいがちです。かつ協力してくれた人や、迷惑をかけてしまった人への「ごめんなさい」がつい疎かになってしまいます。キップリングさんを正直知りませんでしたが、偉大な方だったのでしょう、感謝です。

 

”誰よりも先に課題にぶつかるということは、誰よりも先にその課題を解く機会が与えられているということ。”

駒崎弘樹社会起業家 認定NPO法人フローレンス 代表理事

 

これはなんだかもう既に 絶望よりも希望に満ち溢れる素晴らしい言葉ですね。

ここでは紹介していない絶望の淵や深い闇を感じずにはいられないような言葉も沢山ありますが、実は絶望と希望は表裏一体で、過去の作家も哲学者も政治家も科学者も、現代を憂い避寒しながらも明日の光に希望を見出していたのかもしれないなと思いました。

最後に紹介したいのがこれ。

 

”ココロというものは、穏やかなシアワセという栄養分よりも、劇薬のような刺激が一気に得られる不幸や不愉快さという餌を、好んでしまうもの。”

小池龍之介(僧侶)

 

苦痛やネガティブなものを求めては「ツライツライ」と喜ぶ、ねじれた状態を表しているのだと解説されていましたが、「無駄に長い距離を走ってツライツライと喜んでいるドM気質な人」をどこかで観たような気がします。

書くの疲れたー。(ネガティブ)

優れたリーダーとは?

『最速の仕事術はプログラマーが知っている』

「システムが正常に動かない、なぜだ!?」 

「リリースが迫ってる、開発期間を短縮できないだろうか」
「いろいろ仕様を盛り込んでみたはずなんだけど、使ってもらえなくて無駄になってしまった…」

日々発注者側から矢継ぎ早に追加・修正される要件、迫りくる納期と発生するバグと格闘しながら、「最速」を追求しシステム開発に奔走しているプログラマの仕事にこそ、あらゆる職業に従事する人たちが仕事の成果・生産性を最大化するためのテクニックが満載なのだ、という新しい視点の書籍です。

最速の仕事術はプログラマーが知っている

最速の仕事術はプログラマーが知っている

 

 

・ファイルの整理の仕方(ディレクトリ構造)

・ミスの振り返りと改善の連続(バグを取り除く作業;デバッグ

・問題解決力(バグの原因特定プロセス)

・仕事のダンドリ(アーキテクチャの設計)

・想定外のトラブル・事象への備え(フェイルセーフ)

・事前に行動計画を入念に準備(プリフェッチ)

・いつもやることをスリムに(アルゴリズム、ループの最適化)

・仕事を細分化して効率化(パイプライン処理、マルチスレッディング)

など、プログラミングの際に使われるテクニックはそれ以外の業務や生活にも活用できるものばかり。

優れているリーダーとは?

また、プロジェクトを成功に導く力もプログラマ(≒プロジェクトマネジャー)としての手腕にかかっていることから、本書では優れたリーダー論についても触れられています。さて、どのようなリーダーが優れているのでしょうか?    

「尊敬される人?」
「フェアな人?」
「相談や意見に耳を傾けてくれる人?」  
どれも違うのだそうです。
それは、「仕事を完遂できる人」。

そして、Google社の自社社員を対象とした分析によれば、「行動や反応を予測しやすい人がリーダーとして成功しやすい」というのです。
行動や判断に一貫性があり、バランス感覚に優れている人と言えばわかりやすいのでしょうか。部下は安心して業務に専念できるため、働きやすいんだと思います。 

「好かれるリーダー」より「やりきるリーダー」。刺さりますね・・・

あの資料とデータが見つからないぞと顔をゆがめ、非効率的だと言うことが分かっていながら力技で急場をしのぐ。トラブルが起きたらあたふたしてしまい、そして余裕のない過密スケジュール。。

こんな状況では成果は安定しません。
さっそく取り入れたい要素が山積みです。

また、本書では随所に、経営者や偉人の名言が紹介されていて、個人的には、この2つが良かったです。

 

ハッカーの道とは、持続的な改善と反復を積み重ねていくこと。ハッカーとは、物事は常に向上できる余地があり、完璧なものは何もない、と信じている人のことです。」(マーク・ザッカーバーグ

 

「同じ決断を二度するな。最初の決断に充分時間をかけて確固たる決断を下せば、同じ問題を二度考えずに済む。」(ビル・ゲイツ

 

確固たる決断。改善と反復の繰り返し。どちらも重要な考え方なので肝に銘じたいと思います。

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以前足を運んだアート展で、手描きの東京駅の図がありました。米粒みたいに小さく描かれている人間までこだわっていて、思わず感嘆してしまいました。こういうのを目にすると無性に自分でも描いてみたいという気持ちになります。いつか真似して、なんとなくやるんじゃなく、計画的に「やりきりたい」と思います。

本州縦断すると1600km超えるそうです

『ランニング思考~本州縦断マラソン1648kmを走って学んだこと』

(先に念のため言っておきますが、僕が走ったわけではありません、、本のタイトルです…)

外資系金融でのキャリアから、若くしてNPO法人を設立、日本初のマイクロファイナンス投資ファンドを企画するなど、途上国の貧困層の支援に取り組まれている慎泰俊さんの著書です。

ランニング思考──本州縦断マラソン1648kmを走って学んだこと

ランニング思考──本州縦断マラソン1648kmを走って学んだこと

 

 

お会いしたことはないのですが、それもそのはず、僕が参加しているウルトラマラソンとは距離・過酷さのレベルが段違いの国内有数のレースに出場されているのです。

自身も本書で綴っているとおり、タイムを伸ばしたり、身体を鍛えるためのトレーニング法やテクニック論などのノウハウ本ではなく、長い距離を走り続けることで、心を整えることができ、冷静に物事を見つめられるような余裕が生まれてくるという効能について語られています。

配られたカードでどうプレイするか。

走っている間、風雨、寒暖など自然の猛威の前には抗うことができず、人間はとてもちっぽけな存在。これはどんなに練習を積み、準備してきても、自分の力だけではどうにもならない部分。

ところが、たしかに「雨が降ってきたせいで完走できなかったよ」「気温がここまで上がらなければ納得いく走りができたはずなのに!」「寝不足で体調わるかったせいだ」のように、環境を言い訳にくやしがるランナーをほとんど見たことがありません。天気は自分だけに降りかかってきたものではないし、体調や睡眠、練習も自分のマネージメントの範囲内なのです。(大反省…)

”自分に配られたカード(環境)に一喜一憂するのではなく、そのカードでどうプレイするかに時間を費やして努力したほうが、人生に対してはるかに大きな違いをもたらすことができる” という言葉にはとても説得力がありました。

また、リタイアしてしまったレースで、応援してくれる友人・仲間からの「そんなにムリしないで」「健康が大事だよ」という言葉に対して、「そんな言われ方をしたら力が抜けてしまう、『もっとやれる!』『あと○kmがんばれ!』と励ましてくれればよかったのに、という批判めいた気持ちを発信してしまい、後からそのことを猛省しているくだりが印象的でした。

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「そもそもレースの途中で余裕のない様子を周囲に見せてしまっている時点で自分は甘い。応援のせいにしている時点で他責なのだ」というのです。頭が下がります。

本書では、宮本武蔵西郷隆盛など偉人たちが残した、何事にも動じない精神状態の大切さや、人は成功すると名声を得てすぐに慢心し横柄になり、転落するから常に驕らず、謙虚に目標に向かって邁進し続けなければいけない、といった有難い言葉が数多く紹介されています。

蜂の死骸に注意

ウルトラマラソンのレースや、本州縦断を成し遂げるまでの奮闘記も読みゴタエあって、途中リタイアのリスクを最小化するために、「車に轢かれないようにするコツ」「蜂の攻撃を退避する方法」「熊との遭遇を避けるには」などにも触れられていて、特に蜂のかわしかたの部分は入念に3回くらい読みました。(スズメバチの死骸が沢山落ちているところにさしかかったら要警戒だそうです、、死骸はぜったいに踏んじゃいけないみたいです…汗)

案の定、早くもレースにエントリーしたい衝動に駆られまくっていますが、冷静さを欠いた行動は慎まなくてはいけません。謙虚にコツコツがんばります。

辛い思い出が美化される

前回の続きです。

2013年の道志村の衝撃から2週間くらいはまともにごはんも喉に通りませんでしたが(うそです)人間の脳とは不思議なもので、つらい思い出は忘却され、充実感や達成感だけが残る構造になっているようです。

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「喉もと過ぎれば~」に近いのかもしれませんが、
ランの仲間内では「思い出が美化される」現象と勝手に呼んでいます。

その後は、過酷→美化→後悔→美化→ふらふら→美化→破滅→美化といった良くわからないサイクルで、「次はいける気がする!」と勢いでレースに申し込み、いざレースが始まると序盤で「ほらみろ、やっぱりきついじゃないか!」と後悔し始めるのですが、
だんだんと気分が乗ってきて、滅茶苦茶つらいけど限界点を超えてゴールできた爽快感は格別。

スキー滑れないのにスキー場に足を運ぶ

その後僕が出場したレースは、

・黒姫(長野)
・白馬(長野)
・経ヶ岳(長野)
野沢温泉(長野)

・菅平(長野)
信越五岳(長野・新潟)
道志村(山梨)
・鋸山(千葉)
・房総(千葉)
・神流(群馬)
・四万~草津(群馬)
・飯能越生(埼玉)
越生ときがわ(埼玉)
・長谷川恒夫CUP(東京)

熊野古道(三重)

といった具合に、このスポーツと出会っていなかったら足を運ばなかったかもしれない場所が沢山あります。

また、おそらくスキーが全く滑れない(かろうじてハの字)のにこれだけ足繁くスキー場に繰り出し、リフトの横を駆けているモノ好きはあまりいないのではないかと思います。

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なぜ性懲りもなく走るのか

あえてトレランの魅力をまとめるなら、

1、怪我なく完走するまでのプロセス・ゲーム設計、想定外のトラブルへの対応

いつも当たって砕けろ的ですが通用しなくなってきました。今のところベストオブ想定外だったのはロングレース中の終盤に頭頂部を蜂に刺されたことです。「泣きっ面に蜂」を体現してしまいました。

2、メンタル、フィジカル双方が試される、限界に挑戦できる

僕にとっては身の丈に合わないレースに突撃することが多いので、そもそも限界近くがんばらないと完走できません。。社会人だとなかなか経験できない。心身とも両方もろいのでもっと強くなりたいです。

3、開催地に足を運び、仲間と観光・料理・温泉etc. 満喫できる         

実は半分以上はこれが楽しみで続けています。各地の料理や地酒は最高。レース前夜の飲みすぎ注意!寝不足とダブルパンチだと、当日スタートの時点でHP 5くらいしか残ってません。

4、地元の運営、ボランティア、住民の皆様との一体感

本当に応援が温かくて、それだけでがんばれます。日常生活でも、関わってくれる方々への感謝の気持ちを大切にできるようになります。

といったところでしょうか。

特に4つめはぜひ味わって欲しいです。さすがに都市の大規模マラソンでは難しいのですが、トレイルではレース中にコースを誘導してくれたり、エイドのスタッフさん、声援を送っていただける方には全員に「ありがとう」と返事をするか、お辞儀、会釈をするか、手を振るように心がけています。
(余裕がなくなってくると視線も送れずにフラフラの手をあげるのが精一杯、すみません)

都会から離れた地域で開催されるレースは、地元活性化の意味合いもあり、レース当日は沿道の民家からおじいちゃん、おばあちゃんたちが孫たちを見るように嬉しそうに手を振ってくれます。小さいこどもたちもはるか遠くから「がーーん ばーーってぇー!」とか声を張り上げてくれたりして、「あの、応援はいいんでおじさんの代わりに走ってくれないかな…」などと大人げないことを考えながらも、格好悪いところ見せられないぞと力が沸くのです。

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今年もそろそろトレイルのレースが増えてきます。「こんなはずじゃなかった!」とうなだれている自分の姿が目に浮かびますが、いろいろきっついレースに挑戦したいと思います。

(写真は、2015年に初出場して睡魔と寒さに翻弄された長谷川恒夫CUP にて)

 

気づいたら山で虫の息

他でバラバラになっていたブログを思い切ってはてなに引越しします。古い投稿と新しい投稿が入り乱れて頭の中も訳が分からなくなりそうです。

『トレイルランナー ヤマケンは笑う』

山岳を走る競技、トレイルランニング界のトップアスリートの1人である、山本健一さんの著書。山梨で高校教師を務めながら、主に100マイルレース(約161km)と呼ばれるロングトレイル(1昼夜以上走り続ける)において世界中の有力なレースで活躍を続けるスター的な存在です。

トレイルランナー ヤマケンは笑う。 僕が170kmの過酷な山道を“笑顔”で走る理由

トレイルランナー ヤマケンは笑う。 僕が170kmの過酷な山道を“笑顔”で走る理由

 

 高校時代の山岳部からモーグルに転身。その後、近所のおじさんの誘い(!)でトレイルランニングの世界へ。そこから国内・海外のレースへの挑戦。大舞台で困難に打ち克ちながらより強くなっていく過程と、競技を通じてのかけがえのない大勢の仲間との出会いが綴られています。心身ともに元気に挑戦できる恵まれた環境や、仲間・家族への感謝の気持ちをエネルギーに換えるポジティブな生き方含めて全てがかっこいい!

気になった方は本書をぜひ手にとっていただくとして、比べるのも大変おこがましいですが、かたやどんなレースもギリギリ完走できるかどうか、というありさまだけれどこのスポーツの魅力にハマリ出している1人の人間として、この機会にトレランを始めたきっかけやその魅力など思い出してみることにしました。

 

「綺麗な空気が吸える」はずだった

確か29歳くらいのときに10kmくらいのマラソン大会になんとなく出て、完走したときの達成感や、記録や順位が出ることが新鮮で、ロード(舗装された道を走る)のレースは、ハーフやフルにぽつぽつ参加するようになって2年くらい経ったころでしょうか。

「トレイルランというイケてるスポーツがあるよー」
「なんか結構キツくて、達成感がヤバいんだって!」
「サバイバル的な要素もあってマラソンとはまた違う非日常を味わえるよ!!」
「綺麗な空気が吸えるし、山頂から眺める景色は圧巻だよ!!!」

などという甘い話?がなんとなく耳に入ってくるようになりました。

「な、なんか気になる…」

専用のシューズもなければ練習したこともないのに、こっそり適当なレースにエントリーしたのが2013年の年始だったと思います。(せめて練習くらいしとけよ)これがその後、今に至るまで大苦難と歓喜感動、沢山の仲間との出会いの幕開けになるとは夢にも思わず。

僕が適当にエントリーしたのは、「道志村トレイルレース」という何県にあるのかも良く分からないしホームページも聞いていたカッコ良さや先進的なイメージとは正反対の味気ない感じのレース。距離も20kmくらいでロードより短めだし、いきなりビッグレースに参加したり、ラン仲間と一緒に参加してみんなの足を引っ張ってしまったり、経験者の迷惑になってしまうのは避けたいなと思っていたし、僕としては悪くない選択。(のはずでした…)険しい顔をした筋骨隆々のランナー達がスタートラインにひしめいている写真が載っていることが少し気になったくらいです。

お世話になっていた方が運営するトレラン専門店にシューズとザックを買いに「ドウシムラっていうレースで初めてトレランやるんです」と伝えたら、オーナーの顔が曇る&苦笑い。

「えっ…」(オーナー)

「えっ…」(ぼく)

何でちゃんと調べなかったのか後悔しましたが、そのレースは、ストイックなランナーの注目を集め、参加母集団を集めるにはとにかく泣いちゃうくらい過酷なレースを用意して数多ある他のレースと差別化を図らなくてはいけない、という「ドS」思考の運営者が仕掛けた「ドM」ランナー向け?の有名レースだったのです。

トレランをやる友人に「走る練習しておくね!」と伝えたら「走れるところほとんどないので、、とにかく階段登る練習しといてください」という返事で、雲行きが怪しくなってきました。

初挑戦と大洗礼。差し迫った言葉。

5月、いよいよ現地に到着。レース前日の説明会に参加すると、ゲストの精鋭ランナーたちが本当はレースの魅力を語るはずなのに、皆さん口々に「3年前にこの傾斜を初めて見たとき、私この先どうなっちゃうんだろうと立ち尽くしたのを憶えています」「⚪︎km地点で皆さんの多くは脚が攣ることになります。その後、身体が言うことを利かなくなり、ちょっとしたことで転びまくります」「僕が初めて参加したときはわけがわからないまま気づいたらリタイアしてましたね」となぜか嬉しそうに話しています。

「家に帰りたい…」

当日を前に体調まで悪くなってきそうでした。しかしながらもう後戻りはできません。

当日。「走りは苦手じゃないし、ま、まあなんとかなるだろう…」 という淡い期待はスタート5分も経たずにいきなり立ちはだかる急斜面に文字通り淡いまま吹き飛びました。

「はめられた!」(誰もはめてはいない)

背負っていたポカリ500mlペットボトル4本はあっと言う間に枯渇。他の一般的なレースと違い、エイドと呼ばれる飲み物や食べ物を補給できる場所もわずかしかなく、大の大人たちがあたり一面で仰向けにひっくり返ったり、救護スタッフにテーピングをしてもらったり、痛めた脚をさすりながらウンウン唸っています。その光景たるやまさに野戦病院状態。

「これがトレランの世界なのか…」

圧倒されている暇はありません。

制限時間6時間に間に合わなければ完走証ももらえず、この苦労は水の泡になってしまう、と泡を吹きそうにながらも前進し続けました。

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壁のように立ちはだかる斜面が延々と続き、終わりがいっこうに見えません。僕はいつの間にかあまりのつらさにこれまでしてきた数々のわるいことを懺悔しながら登っていました( 社会人になって肉体的な辛さで泣いたのは初めて)

急激な降りでは、慣れない僕は捻挫をしないようにハイカー用のロープにつかまり、おそるおそる尻餅をつきながら進むのが精一杯。するとついさっき勢い良く追い抜いていった屈強な40代くらいのランナーが「うわあっっ」と叫んでもんどりうって転び、脚をひどくくじいてしまった様子。

「お、おれに構わず先にいってくれっ!」

そんな差し迫った言葉を生まれて30年余り投げかけられたことは1度もありません。僕はその非日常的な会話に愕然としながらも思わず「は、はいっ」と裏返りそうな声で返して先を急ぐほかありませんでした。

制限時間6分前にぼろ雑巾のような顔になりながら無事ゴール。これが悪夢のような僕のトレランデビューでした。

「二度とトレランなんてやるもんか」というのが当日の正直な感想。疲弊しきったその表情に、ラン仲間たちにも別れ際に「トレラン嫌いにならないでね笑」と言われる始末。

大洗礼を浴びた僕が、相変わらず貧弱ながらも今でもトレランに挑戦し続けている理由が気になるところだと思いますが( 本当は「うるせーそんなの知るかよ勝手にしろよ」てところだと思いますが)、長くなりすぎてしまったのでそれは続きの投稿で。

本の感想からかなりコースアウトしてしまいました。。

(続く)