sideburnzzのブログ

転職支援会社勤務。細く長く浅く広く生きています。特技は壁にぶつかるともっときついことに挑戦しようと、トレイルランニングやウルトラマラソンの大会にエントリーすること。

野辺山って牧場があってのんびりする避暑地だと思っていた。3年前までは。

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最近では5月の行事になっている、野辺山ウルトラマラソンの話をしたいと思います。

70km以上の距離を走るロードのレースはこれまで富士五湖、飛騨高山、四万十川、大江戸小江戸(これは完走ほど遠い)、彩湖、奥武蔵と色々出場していますが、203kmの大江戸小江戸は異次元として(毎年半分くらいでリタイア)、、NAVERまとめにもあるように、野辺山が一番辛いと思います。

matome.naver.jp

mountain-ma.com

理由は、なんと言っても累積標高差2,000m超え、最高地点標高1,908mの痺れるコースを14時間制限という、心身ともに全く余裕のない工程。マインドの強さも試されるところだと思います。

 

2015年、5分前くらい完走、2016年、20分前くらい完走で歓喜してきましたが、今年は悔しくもダメでした。来年はお休みしますがまた完走狙いたいので今更ですが当時の投稿を残しておきます。

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4月の富士五湖118kmリタイアの悔しさを晴らすべく臨んだ週末の野辺山ウルトラマラソンですがもっと手強いレースでした…。過去2回はギリギリ完走でしたが今年は97km過ぎで万事休す。

朝5:20スタート。だいたいコースは把握してるけど、後半の絶望的なキツさの記憶があまりに強過ぎて、序盤の登りもえらく大変だと言うことをそびえる坂を目の前にして思い出す。

JR駅最高地点の野辺山駅を過ぎると牧場を抜けて高地を延々と登る。牛たちが朝っぱらから何事かとランナー達を見つめてくる。

そして急にトレイルに。これロードのレースじゃないの?て毎年思うけど黙々と登る。レース最高点(2000m弱?)を超えると一気に下り。ここで焦ると膝を使い果たして後半大変なことになると分かっていつつも、制限時間に一切の余裕がないことからやっぱり飛ばしてしまい、泣くことに。

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1つ目の温泉に着く頃には陽が高く昇り、エイドでは水を頭からかぶる人の行列。コース中に温泉が3つあり、ランナーは途中で入浴できるがそんな余裕、毎年全くない。いつか入浴して完走できるようになるんでしょうか…

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42km地点を超えて緩やかな降り。富士五湖の後、しばらく膝が痛かったけどテーピングの効果なのか今の所なんともないのが救い。何を思ったか緩い登りなら自分だけ駆け登ってしまうくらい。

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が、灼熱の野辺山が牙をむいたのはここから。脚の痛みはないがあまりの暑さに体力は気づかないうちにどんどん消耗。50kmあたりの美味しい蕎麦を食べられるエイドでは行列に並ぶ気力も食欲もなくなり、バケツの水をかぶるのが精一杯な状態に。やばい。

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自販機でCCレモンエナジードリンクを飲んで一瞬だけ回復するけど、食べられないし力が入らない。65kmから永久に続くかと思われる単調な登りの途中の道路脇にあった神木みたいなところの木陰で朽ち果てそうになっているところをラン友達に励ましてもらう。

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71kmの関門エイドではほぼ何も摂取できずに地面にひっくり返って休むのみ。雨が降り始めて少しだけ復活。ここからコースでの過酷さで有名な79kmの馬越峠までずっとひどい登り。自転車はもちろんできれば車で登るのもいやな勾配。僕と同じくらいのペースで走るランナー達もほぼ全員、あまりの消耗で唸りながら前に進む。

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馬越峠を過ぎでしばらく降り。なんとか走ることができるが、平坦な道になったとたんに全く走れない。何度も歩きながら88kmあたりのエイドに滑り込む(転がり込む) 。うどんの汁だけわずかに飲む。 -

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「70km過ぎてからが野辺山の本番」と言われているみたいですが、個人的には「90kmを過ぎてからが野辺山」と言えるくらい残り10kmはきつい。なんと残り3kmくらいまでずっと登り。「そこまで降らなければ良かった」とわけのわからないことが頭をめぐる。 -

「残8kmで60分」ここで最後の勝負をかけようと思い、ここ数年で効果のあった「自分でビンタして奮い立たせる」「脚も痛くないし気持ち悪くもないと自分に言い聞かせる(洗脳的な?)」「唸り声をあげる」など試したけど全部ダメ。 -

「このペースを続ければ私たちきっと完走できますよ!」と6人おそらく見ず知らずのランナー達を先導して、お互いに励ましながら走る集団に追い抜かれる。頭ではわかっていても着いていくことがどうしてもできない。

その後もなんとか完走したいと必死なランナー達にどんどん抜かれる。終盤5km地点で、1年前に沿道の草地にひっくり返って大泣きしてるランナーを、先にゴールしたランナーか応援の友人がなぐさめてる光景が甦る。当時はまだ時間に余裕があったからおそらく脚を痛めて動けなくなってしまったのだろう。野辺山は辛い思いをしてでも心から完走したいと思えるレース。

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97km過ぎでもうすぐそばのゴール会場から響くマイクアナウンスのカウントダウンとともに今年の野辺山は終了。日没して真っ暗!しばらく歩いてたらワゴン車に収容。

ゴールまで搬送される途中で、後ろにつけているマイクロバスから優先的に乗るように、暗闇の中ゴールに向かっているランナーに運転手が徐行しながら声をかけていく。「お疲れ様でしたー!必ずすぐ後から来るバスに乗ってください!」 なんとまだ30人近く僕の前を走ってた人がいて、ほとんどのランナーが「後ろのバスに乗ってください!」と聞くやいなや、また脚を引きずりながら必死に走り出していたことに心を打たれる。きっと、まだやれる、自分の脚でゴールに辿り着きたいという必死の想いがそうさせていたに違いない。

100kmコースの完走率は45%台。リタイア1000人以上という例年に増して壮絶なレースだったみたいです。そんな中、ラン仲間でも完走した人がほんとに沢山いて、本当に本当にすごいです。消耗し過ぎて職場では「走ると痩せるんですね、うらやましい」「10歳老けましたね」「目がくぼんでなぜか夏木マリを思い出しました(なぜ…)」とお褒めの言葉。

野辺山は身体能力やマネジメント力、メンタルなど総合力が問われる、難しいだけにランナーを虜にする実に素晴らしいレース。またゴールして笑えるように頑張ります。

パスまわしヨク!

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写真)豊島区役所庁舎(としまエコミューゼタウン;2015年)

 

日本の建築家として名高い、隈研吾さんのインタビュー記事が先日の日経日曜版に掲載されていて読み込んでしまいました。一部抜粋。

 

”東京、パリ、北京、上海に拠点を構え、国内外でおよそ300件のプロジェクトを動かす。「若い人が自由にものを言えなくなるし、全員とこまめに話せなくなるから」会議はできるだけやらない。部屋を歩き回りながら「食べ散らかす感覚」で5分程度の打ち合わせを繰り返す。立ち話で済ますことも少なくない。  (中 略)  仕事の判断は即決。「後で間違いに気づいたらどんどん訂正、方向転換すればいいんです。自分がボールを持ったままでいるのが一番ダメで、まずはパスを出してやること」と説く。”

 

”都内で建設が進む「新国立競技場」の現場でも「調整役」として、150人ほどの設計・施工の担当者が「自由に会話できる雰囲気づくり」を心掛けている。「自分の価値観を押しつけるのではなく、相手の話を聞く、時に妥協もする。違う文化の人と接することが当たり前の人間では『負ける』ことは悪いことではなく、むしろポジティブな力なんじゃないか。

 

まさに。

 

慎重に入念に予想されるリスクや、反対意見へのカウンタートークを考え唸りながら物事を進めるより、「即パス、即決、傾聴と対話。間違ったら前言撤回(ごめんなさい)・軌道修正」の考え方がいかに大事たるや。

 

この考え方が、「和」や「自然」を感じさせる独特の作風に繋がっているのでしょう。

 

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写真)南青山にあるサニーヒルズ。パイナップルケーキが美味しい。

www.sunnyhills.com.tw

隈研吾氏が新たに手がけたこの三階建ての建物は、地獄組みと呼ばれる伝統的な組木格子を熟練の職人の手で一本ずつ立体的に組み上げて作られました。店の中に入ると、森の中に迷い込んだかのように細かく交差する木組みの隙間から木漏れ日がお客様を包み込みます。光と、ヒノキの独特の香りが時とともに移ろいます。日が暮れると建物全体が灯篭のように闇の中に浮かび上がります。”(HPより)

 

 

空想都市と架空の国の紙幣

架空の街を想像しながら地図に描いてみる、架空の国やその歴史、社会背景を想像しながら、紙幣をデザインしてみる。という、物凄く繊細でクリエイティブな能力が必要とされ、とんでもなく時間もかかり難しくもあるけれど、考えただけで楽しくなりそうなことを実際にされている人がいることを最近知ったので紹介します。

 

まずは、7歳の頃から実在しない空想の地図を描き始め、著書「みんなの空想地図」の出版や、地図に関する執筆、講演、ワークショップ、アドバイザーなど広く活躍されている今和泉 隆行さん。運営サイト「空想都市へ行こう!」では地図に興味を持ったきっかけやその後の活動について詳しく説明がされていて、人口2,400万人を抱える「西京首都圏」の中核である空想都市「中村市」についても閲覧することができます。

imgcity.chirijin.com

実在する都市かと本当に思ってしまうほどのリアリティ。幼い頃にバス路線図や都市地図を眺めているのが楽しくて、自分で0から想像して描いてみよう、という好奇心がすごいです。

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※運営サイト「空想都市へ行こう!」より

 これが「中村市」の中心部です。日常の車や電車、人々が行き交う光景が目に浮かびそうです。さらにこれも全て空想のスーパー、カフェ、コンビニ、ハンバーガーショップ、牛丼チェーン店などもロゴデザインや特徴解説付きで紹介。書籍も今度手に取ってみたいです。

f:id:kiyo_0604:20171126213426j:plain※運営サイト「空想都市へ行こう!」より

僕も世界地図や国旗を落書き帳に模写するのは楽しかった記憶はありますが、今では国名も国旗もほとんど覚えていません。小学校低学年時に、実家の埼玉南部を流れる黒目川を下流まで辿って地図にし、自由研究の作品として提出しようと、友達と歩いて行って新河岸川、荒川に合流するあたりで川が蛇行しまくっていて湿地帯に突入し、おまけに日没して家に帰れなくなりかけるという苦い思い出があります。

 

そして次は紙幣。僕が生まれた頃はかろうじて、聖徳太子の1万円札、5千円札、伊藤博文の千円札、岩倉具視の500円札があったのを覚えています。今の若い人たちは「えっいつの時代のことですか?」という感じかもしれません。そういえば、2千円札ってもう何年も見ていないような。海外の紙幣も格好いいデザインのものがあって見ると楽しいです。

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BRUTUS「お金の、答え。」2017/06/01 より。

 

これなんと、全て実在しない国家で発行されている紙幣。架空紙幣作家 oloさんは会社員として働く傍ら、4歳の頃に目にした1万円札のデザインに感動して、書き写したりしているうちに、お金に見えるような要素を組み合わせて架空の紙幣をデザインするようになったそうです。(法律に触れないように、裏面を罫線の入ったメモ用紙にするなど、明らかに本物でないことが分かるように工夫しているとのこと)架空紙幣はWebでオーダーできるそうなので、オリジナル紙幣を作れちゃいます。

olos.web.fc2.com

紙幣と同じように切手もその国の歴史、政治や文化、国民性がデザインに現れているのと、見ていて綺麗なので、子供の頃集めていました。友達がビックリマンやカードダスやプラモデルやキン肉マン消しゴム?を集めて仲間で交換したり自慢し合っている中、僕は記念切手が発行されるたびに郵便局に通って1枚ずつ購入してにやにやしているような小学生時代を過ごしていました。懐かしくなったので、年末の大掃除で実家の押入れから引っ張り出してこようと思います。

 

 

ALLIANCE〜人と企業が信頼で結ばれる新しい雇用

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ネット決済サービスの先駆け「PayPal」を創業後、世界最大級のビジネス特化型SNS「LinkedIn」を創業、現在会長を務めるリード・ホフマンらの共著。よくある成功企業の起業・成功ストーリーではなく、時流に即したこれからの個人と企業との良き信頼関係、協力関係(アライアンス)をテーマとしており、とても考えさせられる内容でした。

 

転職が当たり前となった現在、企業と従業員間の対等な「アライアンス」を築くことが、社員は自身のキャリア構築、企業は社員の就業期間から転職後にわたって価値貢献をしてくれるという相互のメリットがある。

ALLIANCE アライアンス―――人と企業が信頼で結ばれる新しい雇用

ALLIANCE アライアンス―――人と企業が信頼で結ばれる新しい雇用

 

企業や上司は優秀な社員や部下の退職や競合会社の引き抜きに戦々恐々としながら、お互いに進みたい方向性や任せたいことについて、深く対話・干渉することから目を背けてはいけない。具体的には、両者で適切な「コミットメント期間」を設定してそれに向かって進めていくという手法が効果的。

 

例えば、「貴方には、この部署を率い、サービスの売上を3年間でこの規模まで伸ばしてもらいたい。組織づくりや関係部門からの支援体制は惜しまないし、あなたが先日私に話してくれた、7年後までに個人のキャリアとして実現したいという例の目標に向けて、必ずプラスになるキャリアステップになると思う。企業も私もそれを応援していますよ。」

 

といったように、「社員はミッションを期限内に成し遂げることに専念し、企業は社員のスキル取得を支援する」ことの連続で、企業は、事業を躍進させる起業家タイプの人材を惹きつけ、自社で働き続けようと思ってもらいやすくなる。社員は限られた期間で最速で成長することができ、自社でも他社でも通用するスキルを得られるというのだ。

 

また、新たな発見だったのは、LinkedInをはじめ、業界を代表する急成長企業の多くに、「卒業生」ネットワークがあること。特にLinkedIn、テスラ、YouTube、Yelp、Yammmer、スペースXの設立者は全てPayPalの卒業生で、退職後も続く強固なネットワークが理由になっているのかもしれない。LinkedInには、今や118,000を超える企業「卒業生」グループが存在し、Fortune500企業の98%も含まれているという。

 

マッキンゼーは公式な「卒業生」ネットワーク制度をなんと1960年代から運営、今では会員数が24,000人超、ベイン・アンド・カンパニーは「ベイン・エグゼクティブ・ネットワーク」を運営し、卒業生の対応に専属社員を置いている。他の大手コンサルティングファームの多くも似た取り組みを行っている。

 

確かに企業や在籍者にとっても、OBにとっても、相互の人材採用や顧客紹介、業界内外の情報交換などメリットは大きいし、自社サービスや商品について客観的な見地から耳の痛い意見も含めてもらえるという意味でとても貴重。

 

ソーシャルメディアやテクノロジーがこれだけ浸透していると、長年会っていない旧友や元同僚、仕事上付き合いのあった方、さらには1度も会ったことのないネット上だけの知り合いまで、仕事上、同僚や直接の顧客から得る情報よりもネットワーキングによって得る情報量の方が多くなっている気も。

 

「卒業生」ネットワークというと仰々しいけれど、大学も前職も含めて、同じ時間を過ごしてきた人たちがそれぞれの場所で活躍している便りを見たり聞いたりするのは嬉しいし、10年以上従事している転職・採用支援事業も、会社の枠を超えて情報交換したりして、業界を良くしていこう、世の中を良くしていこうという機運があるのが結構気に入っています。最近つい社内にとじこもりがちなので、もっと外に出ていかなければいけないです。(中学高校の同窓会も、大学のOB会も、サークルのOB会も全然参加していません、すみません…。)

優先順位はほとんど「なるはや」

ふと、そう言えば若い頃はどんな仕事の仕方してたかなと思い、振り返ってみます。

 

「◯◯さんにいついつまでにやってと言われているので今日は帰れません」

「両方とも重要だと思うんで引き受けました。今週中に終わるかやってみないとわからないですが、がんばってみます」

「すみません、急に新しい仕事が出てきてしまったので今日提出の資料間に合いません」

 

まだ20代の頃の僕は、今聞いたらあきれるような場当たり的な仕事をしては周りに迷惑をかけていました。タチの悪いことに、謎な使命感から何でもやりたいと引き受けてしまうので、上司や周囲のマネジャーたちは、「ああ言うなら、きっとこなしてくれるに違いない」と期待して任せてくれるんですが、フタを開けたら常に仕事がパンク状態。全然納期に間に合わない。ギリギリになって「やっぱり来週中までに提出期限を延ばしていただけないですか」と謝り、あきれられ、こっぴどく叱られる毎日でした。

 

空気の読めなかった僕は気合と意欲に満ち溢れ、土日も働き、ひどい時は時間がもったいないからと月曜から木曜まで家に帰らなかったことも。夏休みや年末年始を「これで溜まった仕事を一気に片付けるチャンスだ!」とまでとらえていました。さらには、偉そうに「なんで俺はこんなに頑張ってるのに、評価してもらえないんだろうか、みんな全然わかってないんだな」くらい本気で思っていました。今から振り返ると自分のもみあげを剃り落としてやりたいくらいの格好悪さです。

 

たまりかねた上司からはタスクスケジュールのリスト作成と優先順位づけを命じられましたが、これが全く意図をわかっていなかった。なんとか仕上げたリストでは、全体の半分以上が「なるはや」。しかも偉い人から依頼されているものほど優先順位が高い。納期はなんとなく「1週間後」「2週間後」の羅列。「本当に間に合うの?」と問い詰められれば、その納期の文字も僕の声も吹き飛びそうでした。「偉い人に頼りにされたいし、遅い時間まで頑張ったら信頼してもらえるだろうし、今週も忙しいけどなんとか乗り切ろう」というのが当時の思考パターンでした。

 

納期をずらしてばかりの僕は「そういう仕事の仕方は嫌いだ!」と毎日毎日毎日毎日言われ続けました。いつしか「納期ズレ男」とまで言われました。(言われてません) 仕事はいっこうに減る気配を見せず、むしろ増えていきました。自分の頭と手足が空回りしている音が本当に聞こえてきそうでした。どうしたら期待に応えられるのか、怒られずに済むのか、半ばムキになりながら、必死でもがきながら働いた20代でした。

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では何が間違っていたのか?

いや何ひとつとして正しくなかったのです。

 

そう、僕はその目的や影響度を確認することを怠り、言われるがままに全ての仕事を受けていたのでした。そして何でも自分でこなした方が早いと勝手に考えていました。

 

・タスクマネジメント

・関係者のハンドリング

 

上司たちはこのスキルが皆無だった僕に、その重要性や、求められていることは闇雲に働くことではないのだ、ということを身をもって気づかせ、体得させたかったのだと思います。

 

どんなに高度な専門スキルを磨いても、個人で圧倒的なパフォーマンスを発揮しても、1人で完結する業務を僕はほとんど、いや1つも見たことがありません。

 

自分の貴重な時間を何に充てるのがもっとも効果的で、誰を巻き込むのか、誰の協力を仰ぐのか、自分に課された指示や業務は本当に必要なものなのか、見方によっては不要なのではないか。

 

周りに転がっている情報や指示・提案・助言を鵜呑みにせず、自ら意志を持って仕事を創造し、推し進めていく力を身につけることの方が、仕事に忙殺されて溢れているくらいの状況を心地よいと感じている毎日を過ごすより1000倍ほど価値があると思うのです。

 

次のブログ記事の投稿納期のイメージが全く湧かず、何の進歩も感じられないですが、もし同じような環境で、ひたすら頑張っているつもりなのに「おやおや?」と思っている方々の参考になればな、と。

クマのデザイン

先日約2年振りに、ある銀行口座のカードを再発行手続きした。丸ノ内線で深い眠りに落ちていたらおそらく終点折り返しの池袋駅無人化した車両で(起きろよ)足元に置いておいた鞄から巧妙に財布を抜き取られたのだ(と思う。)

 

その時のことを振り返ると話が長くなるが、財布は僕の懸命な捜査網をかいくぐり、結局どこからも出てこなかった。財布を失くすと一切の重要物を入れている人間にとってはその後の手続きが、とてつもなく面倒なことになる。途中であきらめそうになったくらいだ。免許証、保険証、クレジットカード、銀行カード、病院の診察券、各種ポイントカードなどあらゆるものがなくなるため、不正利用を食い止めるために急いでストップしなければならない。

 

さらに再発行手続きは難解を極める。自分を証明するものが何もないため、免許証を復活させるには住民票、クレジットカードを復活させるには免許証、というように、的確な順番でステップを踏み復活させていかないと迷走してしまう。

 

カード会社の紛失届の専用電話のオペレーターの方々は、深夜の電話にもかかわらず、応対がこなれていて、思わず財布を失くしたことで仕事を増やしてしまい、申し訳なくなる。同情されたりすると「まず混乱しているお客様に耳を傾け、同情し、落ち着いていただくところから始める」というのがマニュアルに書いてあるのではないかと疑ってしまい、その曲がった性格を反省する。

 

その際、「ちなみにお客様、カードの絵柄は憶えていらっしゃいますか?」という質問があったのだが、それまで財布を失くしたショックで狼狽・焦燥していた僕は、電話口で表情のない説明ばかりしていたが、想定していない質問に、「ク、クマのプーさんです…」と苦し紛れに答え、たった1秒くらいだが相手の沈黙を察知した時のなんとも言えない小っ恥ずかしさとばつの悪さは今でも覚えている。

 

クマのプーさんてなんだよ」

「プーさんではいけなかったのか?なぜ正式名称を答えてしまったのか」

「さん付けをする必要はあったのか?」

「昔なぜ無地のカードを選択しなかったのか、こうなることを見通せなかったのか」

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幼い頃の記憶によると、ハチミツが好物で木の上の蜂蜜の壺を落とそうと試行錯誤したり、食べ過ぎて家のドアから出られなくなったりと、子供達に人気のキャラクターだったと思うが、ほぼ「ぐりとぐら」とのストーリー性の違いを思い出せない。

 

それが気になってカードを再発行するのをためらっていたら2年が過ぎてしまったのだ、というのは嘘で、普段ほぼ使っていない口座だったので、来週行こう、来週行こう、と100回以上先延ばししているうちにあっという間に2年が経ってしまったのだ。

 

平日に休みをもらっていたので、窓口に行ったのだが、カードを失くして2年振りに全く違う店舗にふらりと姿を現した、Tシャツ短パンのおっさんは見るからに怪しい。おまけに野辺山を100km近く走ってきた代償で日焼けしまくり、顔がこけまくりの状態で筋肉痛で足取りもふらついている。実に怪しい。窓口に誘導するスタッフの方の表情にも緊張が走る。僕も運転免許証の写真で本人確認できない、というこのブログのオチになったらどうしようと緊張する。

 

窓口の順番が回ってきて、かすかに覚えている銀行時代の手続きの流れをおさらいし、印鑑も身分証明もあるし、多分大丈夫だろうと落ち着きを取り戻し、誘導されたシートに座る。応対してくれる若い女性行員の方も業務にこなれていそうだし、安心できそうだ、よかった。「ご来店ありがとうございます。よろしくお願いいたします!」明るい表情で爽やかに手続きの案内が始まった。

 

「お客様、まず停止中のお口座のカードの絵柄は何だったかお憶えですか?」

烏賊祭り

下町で男たちが汗をほとばしらせながら神輿を担ぐ夏祭りでも、川沿いで焼かれた秋刀魚が周辺の人口とビールの消費量を驚異的に跳ねさせる祭りでもない、烏賊祭りについての話をしたい。それは、烏賊を釣りに出かけたはずが、自分の釣り糸と隣の人の釣り糸とが意図せず絡まってしまう「まつり」と言われる現象に一日中悩まされ続け、「ぼうず」という「その日、一匹も釣れない」という結果に終わってしまったという貴重な体験である。

 

教えてもらった通りに釣り針に餌とオモリをつけ、「OK」の合図に合わせて釣り糸を船から垂らしてそれっぽい素振りをしておけば、初心者であってもアジが食いついてくれるという前回の船釣りデビューにアジをしめた僕は、「今回もまあなんとかなるだろう」と完全に慢心、油断しきっていた。よくよく振り返ると、前回は直前に出場したトレイルランニングの大会で砂利道でトップスピードでヘッドスライディングした右掌の生傷のせいで、僕はほぼ釣竿を持っている、いやむしろ釣竿につかまっているに過ぎなかったのだ。油断している場合ではない。

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烏賊というのはどうやらやたらと深い場所にいるらしく、船は神奈川の港から出発し、かなり遠くまで移動し、釣り糸も100mくらい延々と下まで伸ばすことになった。仕掛けを落とす時はオモリがあるから滑らかだが、引き上げる時は手で巻き上げるには時間がかかりすぎるので、電動で一気にやる。エサがなかったり、仕掛けの配置の仕方が変わっていたりと前回とだいぶ勝手が違っていて焦る。20人くらい船に乗っている人たちの中で自分が一番初心者であることは、まず履いている靴下がすでに船への浸水でびしょ濡れになっていることで明らかだ。(靴下を脱ぎ忘れるほど動揺していた)

 

船釣りの場合、船頭の人が初心者の人に釣り方を教えてくれたり、釣り糸が絡まったり故障した時などにお世話をしてくれる。全身真っ黒に焼けたその船頭の若者の話によると、いかに他の人より早くオモリのついた仕掛けを投げ入れられるかで明暗が分かれるらしい。「早く投げ入れればいいのか、なんだ、簡単じゃないか。」

 

「口で言うのは簡単」というのはよくある話だ。実際には限られた時間の中でオモリをと仕掛けを設置し、ベストタイミングで丁度良い場所にオモリを投げ入れ、一気に糸を海底まで垂らすのは至難の技だった。一連のプロセスで何度か右手と左手の役割が変わるのだが、間違えるとオモリがあらぬ方向に飛んで行ったり、釣り糸が絶望的に絡まってしまう。糸を上げるときも両手を巧みに駆使しないとやたらと時間がかかり、他の方を待たせて迷惑をかけてしまうことになる。目を白黒させながらモタモタしていると「さっき教えたよね!?それじゃ釣れないよ!」と間髪入れずに船頭からの檄が飛んでくる。「や、やばい…」

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そう、僕はかなり不器用な方なのだ。人から見られていると緊張もあってなおさらダメだ。水泳もフォームがグチャグチャで全然速くならなかったし、少年野球もなぜか変化球の回転がかかってクセが直らず、失格退場になったこともある。バスケは片手シュートがなかなかできず中学時代は周りから馬鹿にされて悔しい思いをした。知人の茶道のお茶会に招かれたことがあるが、皆の前で焦って茶器をひっくり返しそうになった(足も痺れてしばらく立ち上がれなかった)。新卒の銀行での研修では札勘定(お札を数える)テストで手が滑って札をぶちまけ、日常的に落第していた。サーフィンは2秒以上板の上に立つことができずに1回でくじけてしまった。

 

「なんとか釣ってもらいたい」という船頭の熱っぽさとは裏腹に、僕の腕はいっこうに上達する気配を見せなかった。左右の人ばかりか、なぜか何人かまたいだ人とも釣り糸が絡まった(まつった)。これは仕掛けを投げるタイミングが遅すぎたり、投げる方向が偏っていたり、海の底まで垂らした糸がたわんでいたりと色々な要因が絡んでいるらしいのだが、とにかく僕のはひたすら絡まりまくった。その命中率の高さは狙ってでもなかなか出せないレベルだったと思う。

 

後半の僕は、イカを釣ることでもイカが食いつく感触を感じることでもなく、もはやイカに糸を絡ませずに船頭さんに絡まれずにその場を乗り切れるかということで頭がイッパイだった。方向性は見失っていたが、仕掛けを放つタイミングと方向だけはかなり修練されていた。きっと何かの時に「ああ、あの時、烏賊釣りの仕掛けの投げ方を学んでおいて良かった」と涙を流す時がやってくるに違いない。

 

季節や海流など色々な巡り合わせにも恵まれていなかったようで、船全体でも烏賊をたくさん釣っている人はごくわずかだった。みんなスルメのように顔が日に焼けていた。仲間4人で行って、釣れたのは1杯だった。たくさん釣れた常連さんと思しき方にスルメ烏賊を1杯恵んでいただいた。全てが報われたような気がした。「今日は散々でしたが、完全に準備と実力不足。学ばされることが沢山ありました。次はきっとリベンジします!」とかいうどこかのマラソン大会の振り返りと見間違えそうなくらい似通った反省の弁を残して、帰宅した。

 

イカを天婦羅にしたら最高だった。次は釣れるといいな!