sideburnzzのブログ

転職支援会社勤務。細く長く浅く広く生きています。特技は壁にぶつかるともっときついことに挑戦しようと、トレイルランニングやウルトラマラソンの大会にエントリーすること。

クマのデザイン

先日約2年振りに、ある銀行口座のカードを再発行手続きした。丸ノ内線で深い眠りに落ちていたらおそらく終点折り返しの池袋駅無人化した車両で(起きろよ)足元に置いておいた鞄から巧妙に財布を抜き取られたのだ(と思う。)

 

その時のことを振り返ると話が長くなるが、財布は僕の懸命な捜査網をかいくぐり、結局どこからも出てこなかった。財布を失くすと一切の重要物を入れている人間にとってはその後の手続きが、とてつもなく面倒なことになる。途中であきらめそうになったくらいだ。免許証、保険証、クレジットカード、銀行カード、病院の診察券、各種ポイントカードなどあらゆるものがなくなるため、不正利用を食い止めるために急いでストップしなければならない。

 

さらに再発行手続きは難解を極める。自分を証明するものが何もないため、免許証を復活させるには住民票、クレジットカードを復活させるには免許証、というように、的確な順番でステップを踏み復活させていかないと迷走してしまう。

 

カード会社の紛失届の専用電話のオペレーターの方々は、深夜の電話にもかかわらず、応対がこなれていて、思わず財布を失くしたことで仕事を増やしてしまい、申し訳なくなる。同情されたりすると「まず混乱しているお客様に耳を傾け、同情し、落ち着いていただくところから始める」というのがマニュアルに書いてあるのではないかと疑ってしまい、その曲がった性格を反省する。

 

その際、「ちなみにお客様、カードの絵柄は憶えていらっしゃいますか?」という質問があったのだが、それまで財布を失くしたショックで狼狽・焦燥していた僕は、電話口で表情のない説明ばかりしていたが、想定していない質問に、「ク、クマのプーさんです…」と苦し紛れに答え、たった1秒くらいだが相手の沈黙を察知した時のなんとも言えない小っ恥ずかしさとばつの悪さは今でも覚えている。

 

クマのプーさんてなんだよ」

「プーさんではいけなかったのか?なぜ正式名称を答えてしまったのか」

「さん付けをする必要はあったのか?」

「昔なぜ無地のカードを選択しなかったのか、こうなることを見通せなかったのか」

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幼い頃の記憶によると、ハチミツが好物で木の上の蜂蜜の壺を落とそうと試行錯誤したり、食べ過ぎて家のドアから出られなくなったりと、子供達に人気のキャラクターだったと思うが、ほぼ「ぐりとぐら」とのストーリー性の違いを思い出せない。

 

それが気になってカードを再発行するのをためらっていたら2年が過ぎてしまったのだ、というのは嘘で、普段ほぼ使っていない口座だったので、来週行こう、来週行こう、と100回以上先延ばししているうちにあっという間に2年が経ってしまったのだ。

 

平日に休みをもらっていたので、窓口に行ったのだが、カードを失くして2年振りに全く違う店舗にふらりと姿を現した、Tシャツ短パンのおっさんは見るからに怪しい。おまけに野辺山を100km近く走ってきた代償で日焼けしまくり、顔がこけまくりの状態で筋肉痛で足取りもふらついている。実に怪しい。窓口に誘導するスタッフの方の表情にも緊張が走る。僕も運転免許証の写真で本人確認できない、というこのブログのオチになったらどうしようと緊張する。

 

窓口の順番が回ってきて、かすかに覚えている銀行時代の手続きの流れをおさらいし、印鑑も身分証明もあるし、多分大丈夫だろうと落ち着きを取り戻し、誘導されたシートに座る。応対してくれる若い女性行員の方も業務にこなれていそうだし、安心できそうだ、よかった。「ご来店ありがとうございます。よろしくお願いいたします!」明るい表情で爽やかに手続きの案内が始まった。

 

「お客様、まず停止中のお口座のカードの絵柄は何だったかお憶えですか?」

烏賊祭り

下町で男たちが汗をほとばしらせながら神輿を担ぐ夏祭りでも、川沿いで焼かれた秋刀魚が周辺の人口とビールの消費量を驚異的に跳ねさせる祭りでもない、烏賊祭りについての話をしたい。それは、烏賊を釣りに出かけたはずが、自分の釣り糸と隣の人の釣り糸とが意図せず絡まってしまう「まつり」と言われる現象に一日中悩まされ続け、「ぼうず」という「その日、一匹も釣れない」という結果に終わってしまったという貴重な体験である。

 

教えてもらった通りに釣り針に餌とオモリをつけ、「OK」の合図に合わせて釣り糸を船から垂らしてそれっぽい素振りをしておけば、初心者であってもアジが食いついてくれるという前回の船釣りデビューにアジをしめた僕は、「今回もまあなんとかなるだろう」と完全に慢心、油断しきっていた。よくよく振り返ると、前回は直前に出場したトレイルランニングの大会で砂利道でトップスピードでヘッドスライディングした右掌の生傷のせいで、僕はほぼ釣竿を持っている、いやむしろ釣竿につかまっているに過ぎなかったのだ。油断している場合ではない。

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烏賊というのはどうやらやたらと深い場所にいるらしく、船は神奈川の港から出発し、かなり遠くまで移動し、釣り糸も100mくらい延々と下まで伸ばすことになった。仕掛けを落とす時はオモリがあるから滑らかだが、引き上げる時は手で巻き上げるには時間がかかりすぎるので、電動で一気にやる。エサがなかったり、仕掛けの配置の仕方が変わっていたりと前回とだいぶ勝手が違っていて焦る。20人くらい船に乗っている人たちの中で自分が一番初心者であることは、まず履いている靴下がすでに船への浸水でびしょ濡れになっていることで明らかだ。(靴下を脱ぎ忘れるほど動揺していた)

 

船釣りの場合、船頭の人が初心者の人に釣り方を教えてくれたり、釣り糸が絡まったり故障した時などにお世話をしてくれる。全身真っ黒に焼けたその船頭の若者の話によると、いかに他の人より早くオモリのついた仕掛けを投げ入れられるかで明暗が分かれるらしい。「早く投げ入れればいいのか、なんだ、簡単じゃないか。」

 

「口で言うのは簡単」というのはよくある話だ。実際には限られた時間の中でオモリをと仕掛けを設置し、ベストタイミングで丁度良い場所にオモリを投げ入れ、一気に糸を海底まで垂らすのは至難の技だった。一連のプロセスで何度か右手と左手の役割が変わるのだが、間違えるとオモリがあらぬ方向に飛んで行ったり、釣り糸が絶望的に絡まってしまう。糸を上げるときも両手を巧みに駆使しないとやたらと時間がかかり、他の方を待たせて迷惑をかけてしまうことになる。目を白黒させながらモタモタしていると「さっき教えたよね!?それじゃ釣れないよ!」と間髪入れずに船頭からの檄が飛んでくる。「や、やばい…」

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そう、僕はかなり不器用な方なのだ。人から見られていると緊張もあってなおさらダメだ。水泳もフォームがグチャグチャで全然速くならなかったし、少年野球もなぜか変化球の回転がかかってクセが直らず、失格退場になったこともある。バスケは片手シュートがなかなかできず中学時代は周りから馬鹿にされて悔しい思いをした。知人の茶道のお茶会に招かれたことがあるが、皆の前で焦って茶器をひっくり返しそうになった(足も痺れてしばらく立ち上がれなかった)。新卒の銀行での研修では札勘定(お札を数える)テストで手が滑って札をぶちまけ、日常的に落第していた。サーフィンは2秒以上板の上に立つことができずに1回でくじけてしまった。

 

「なんとか釣ってもらいたい」という船頭の熱っぽさとは裏腹に、僕の腕はいっこうに上達する気配を見せなかった。左右の人ばかりか、なぜか何人かまたいだ人とも釣り糸が絡まった(まつった)。これは仕掛けを投げるタイミングが遅すぎたり、投げる方向が偏っていたり、海の底まで垂らした糸がたわんでいたりと色々な要因が絡んでいるらしいのだが、とにかく僕のはひたすら絡まりまくった。その命中率の高さは狙ってでもなかなか出せないレベルだったと思う。

 

後半の僕は、イカを釣ることでもイカが食いつく感触を感じることでもなく、もはやイカに糸を絡ませずに船頭さんに絡まれずにその場を乗り切れるかということで頭がイッパイだった。方向性は見失っていたが、仕掛けを放つタイミングと方向だけはかなり修練されていた。きっと何かの時に「ああ、あの時、烏賊釣りの仕掛けの投げ方を学んでおいて良かった」と涙を流す時がやってくるに違いない。

 

季節や海流など色々な巡り合わせにも恵まれていなかったようで、船全体でも烏賊をたくさん釣っている人はごくわずかだった。みんなスルメのように顔が日に焼けていた。仲間4人で行って、釣れたのは1杯だった。たくさん釣れた常連さんと思しき方にスルメ烏賊を1杯恵んでいただいた。全てが報われたような気がした。「今日は散々でしたが、完全に準備と実力不足。学ばされることが沢山ありました。次はきっとリベンジします!」とかいうどこかのマラソン大会の振り返りと見間違えそうなくらい似通った反省の弁を残して、帰宅した。

 

イカを天婦羅にしたら最高だった。次は釣れるといいな!

『Provocative Thinking ~ 面白がる思考』

「実際に仕事をするのが自分じゃないからってみんな言うのはタダだと言わんばかりに発言は好き放題…。」こんな風に思ったことはありませんか。僕は事実、 そう思う機会が多々あります。でもその「言いたい放題な発言」の中に実は本質的なヒントが隠れていたりします。現実的ではないから、効率悪いから、面倒く さいからとついできない理由を考えてしまってはいないだろうか…。

「プロヴォカティブ・シンキング 面白がる思考」は、富士写真フイルムを経てマッキンゼー消費財・小売業グループのリーダーとして活躍されている山梨広一氏が著者です。最新号の「Think!」誌でも特集で採り上げられていました。(これも2011年に読んだ本のためはるか昔の話です…)

プロヴォカティブ・シンキング ―面白がる思考

プロヴォカティブ・シンキング ―面白がる思考

 

 彼 が提唱するこの思考法は、簡単に言うと、「何でも面白がって可能性を否定せずに考える」というもの。誰でも無意識のうちに「できない理由、制約条件(時 間、コスト、工数、期待される効果、前例etc)」をこれぞとばかりに挙げまくり、どうにかしてそれをやらずに済む方法をひねり出そうとします。なぜなら、今までのやり方の方が楽だから。失敗したくないから。面倒だから。

成功して一躍ヒーローになれるチャンスをやりもせずに潰してしまうのと、「たぶん、できるはずだ。そのためには…」と考え方を転換してチャレンジするのとでは結果や達成感は大きく変わってくることでしょう。

プロヴォカティブ・シンキングの実践により、3つの素晴らしい効用があるといいます。個人だけではなく、組織全体をポジティブにすることができます。

1、新しいアイデアを創出し、ブレークスルーをもたらす
2、高揚感や一体感を生み出す
3、次々にアイデアが生まれる土壌を醸成する

話 は変わりますが、「楽しいことを仕事にしたい」「好きなことをしたい」。良く耳にする言葉です。じゃあ楽しいことや好きなことって一体何なのでしょうか。 一方で「今やっている仕事を楽しもう」「目の前の仕事を好きになろう」って言う人もいます。これも何となく違和感が…。

「面白がる」という、本著で度々出てくる言葉に僕はしっくりくる何かを感じました。それは「好き」とはニュアンスが違います。世の中の人みんなが朝起きたら突然、今やって いる仕事が「好きになる」なんてことには絶対ならないからです。「面白がる」=「(みんな面倒くさがってやらないだろうし)かなりキツいけどこれを巧く成 功させたらしめたものだ。面白い、やってやろうじゃないか」こういう風に置き換えることができるのではないでしょうか。

以前手にして感銘 を受けた「大人げない大人になれ!」(著・成毛眞氏)に登場した、上司がびっくりする顔が見たい一心で尋常ではないスピードでプログラミングを完成させたエンジニアや、面接で落とされて、それが悔しくて採用担当に復讐するために翌年度また応募して入社してきた大学生のエピソードにも通ずるものがあると思いま す。

物事もとらえ方次第。果たしてどんな仕事が好きか、どんなことが向いているのか、正直いまだに全然分からないですが何でも「面白がって」取り組むようにします。

140文字に慣れすぎてこんな長い文章を書くのが久々なので今回はオチはありません(昔書いたブログを読むと稚拙さとすべり気味なところに唖然とします…)

「本は10冊同時に読め!」

”本を読まない人はサルである”

”本棚に「○○ができる方法」「○○力」のようなタイトルの本が並んでいたら、「私はバカです」と言っているようなもの”

”本嫌いな人とはつき合わない方が良い”

”飲み屋で1分話せば、その人が本を読む人かそうでないかが分かる”

とらえ方を間違うと、とても乱暴な表現と感じてしまいそうですが、成毛さんの歯に衣着せぬ大胆な書き口が大好きです。

 本書では、自らの体験を元に、1冊の本を丁寧に最後まで読みとおすのではなく、常に分野の異なる複数の書籍を同時に読み進め、1日の中で何冊もの本に目を通すことで、脳のあらゆる部分を刺激させるという、「超並列」読書術を勧めています。(これもまた5年前の記事を引っ張り出してきました。別サイトからはてなブログに引っ越し中)

これを実践することで、米カーネギーメロン大のリチャード・フロリダ教授が提唱する「クリエイティブ・クラス」の階層の仲間入りをするトレーニングになるといいます。この「クリエイティブ・クラス」、デザイナーや編集といった職種に限らず、全ての職業に当てはまるもので、「自分の頭で考えて行動できる 人」、目の前の仕事に対して疑問を投げかけ、常に工夫・改善していける人のことをさしていると言います。

また、つい自分の専門領域に関する本ばかり読み漁ってしがいがちですが、それではバランス感覚や多角的な視野は磨かれない。新車の開発のコンセプトを練る 必要がある企画担当者は、既に発売された車のカタログ集や関連書籍を読んでいてもダメで、例えば、歴史物のノンフィクションと夫婦生活のエッセイ、北欧家 具の写真集を常日頃、手に取っていれば、「馬に乗る躍動感を車で実現」「夫婦向けのドライブの提案」「北欧デザインの雰囲気を車内で」といった方向性の異 なるアイデアが湧き、ミックスさせることが可能なのだ、ということを教えてくれます。なるべくバラバラのジャンルの本を読むのが良いのです。

あと、恥ずかしくなったのは「読書メモ」や「3色ボールペンやマーカーでのアンダーライン」。几帳面な人に多いらしいのですが、「あなたにはどれだけ暇な 時間があるんだ?」とのこと…。そういう人は内容の薄い本でも最後まで丁寧に読んでノートに要点をまとめて、仕舞いにはブログに書いちゃったりするから、 同時並行で何冊もの本に出会う機会を逸している、重要だったこと、感化されたことは周りの人との会話で何度も触れれば記憶に残るからそれで充分。それに、 大事なことは大抵他の本でも書かれているから嫌でも目にすることになる、とのことです。

このブログも畳まなければいけないかもしれません…。

冒頭で紹介した、「飲み屋で1分話せば、、、」の部分ですが、他人事ではありません。社外の方とお会いするケースがここ数年ですごく増えているのですが、 自分の教養や知見のなさ、話題の乏しさを痛感することが本当に多いです。「なんて薄っぺらな人間なんだ」と思われることが恥ずかしいですし、せっかくの機会ですから、相手の方にも「この人からはまた色々面白い話を聞けそうだ」と感じていただきたいです。

日々勉強です。

 

『コーチKのバスケットボール勝利哲学』

マイケル・ジョーダンレブロン・ジェームズなどの超一流プレイヤーから絶大な 信頼を集める名コーチ、マイク・シャシェフスキー。デューク大学NCAAチャンピオン4回、北京五輪、トルコ世界選手権での金メダル獲得など数々の偉業 を達成するために大切にしてきた成功と勝利への哲学が40のキーワードに凝縮されている本です。(6年前に読んで書いた投稿。また読みたくなってきました)

コーチKのバスケットボール勝利哲学

コーチKのバスケットボール勝利哲学

 

 バスケットボールに限らず、チームスポーツ全般、ビジネスにも通じるところが大きく、色々な発見がありましたが、そのうちの「集団責任」というテーマについて採りあげたいと思います。

 

【集団責任】

「あの大切な場面でミスショットした彼のプレイが敗因だ」
「彼のパフォーマンスは試合を通じて精彩を欠いていた」
「相手に散々カットインを許した彼のディフェンスが穴だった」

ゲームに負けるとほとんどの場合、口には誰も出さないものの、どこからともなく責任の所在に思いがめぐったり、結果を出せなかった本人は、負けがあたかも全て自分の責任であるかのように悲観的にとらえがちですが、これは大きな間違いだと、コーチKは言います。

得点盤には個人ではなく「チーム名」だけが記されているように、その試合のどの瞬間においても責任はチーム全体にあります。誰かが上手くやっている時には、僕たちみんなが上手くやっていて、誰かがミスをしてしまった時には、僕たちみんながミスをしているのだと。

特にバスケの試合は最後までもつれることが多いため、残り数秒、ワンプレイで得点が決まるかどうかで勝敗が決しているかのように見えがちですが、その最後のボールの持ち主とその人間をマークしているディフェンスが勝敗の全責任を負っ ているのだとしたら、どんなに息詰まるものなのでしょうか。「ボールなんて飛んでくるな!」と思わず叫びたくなってしまうことでしょう。

実際には、その最後のワンプレイに至るまでの長い長い時間の中でのチームメンバー全員の動きが勝敗を決めていて、最後のシュートがどうだったか、はその断片にすぎません。(こう考えると肩の力が抜けますね)

さて、仕事ではどうでしょうか。

重なる点、結構ある気がします。
もちろん就いている職種や組織構成、企業文化などによっても違うでしょうし、 個々人が期待されている成果(数字)の積み上げや、「Aさんにしかできない」といった、専門領域でのパフォーマンスの融合でチームや組織全体の成果、勝ち 負けが左右するので、いちがいに「集団責任」とは言い切れない部分はあります。

ただ、スポーツと一緒で、プロでさえ時期によって調子の良い(結果が出る)選手、悪い(結果が出ない)選手がいるように、チームで仕事をしているわけですから、お互いに協力し合い、調子の良い人間がそうでない人間をアドバイスしたりフォローすることがとても大切なんだと強く感じます。(その点、安定的に結果を出せる選手はそれだけで信頼を得ることができますね。)

もちろんチームや部門間での相互補完体制もそうです。好調なチームが不調なチームの売上の穴を埋め、勢いのある部門がそうでない部門の穴を埋める。強いチームや組織に共通しているところだと思います。

ラスト数秒になって「ああ、こんなことになるなら彼を起用しておくべきだった」と天を仰いでもあとの祭り。

月間の、四半期の、年間の「ラスト数秒」がすぐそこまで近づいてきた時に真価が問われますが、大逆転は不可能。バスケやってる人ならわかると思いますが、ハーフラインそばからの滅茶苦茶なフォームでの苦しげなシュートが入る光景は滅多に見ることはできません。

 

採用基準-②リーダーがなすべき4つのタスク

前回に続き、「採用基準」についてです。
本当に学ぶものの多い書籍なので、まだ手にとってない方はぜひ。

今回はリーダーは何をすべきかについてです。

1、目標を掲げる
2、先頭を走る
3、決める
4、伝える

どれもシンプルで当たり前のことに見えますが、
この4つのタスクこそがリーダーに求められている最重要なタスクだといいます。
採用基準

採用基準

 

 

1、目標を掲げる

メンバーを鼓舞するに充分な成果目標を定義することが大事。人間は誰しも合理的で打算的だから達成したときに得られる高揚感・達成感・評価・報酬・ポジション・経験と、それに伴う努力・リスクを天秤にかけて、魅力的なゴールだと判断できなければ、努力することをやめてしまいます。カリスマ経営者がとんでもなく高い目標を掲げる理由、寝食忘れて働かなければならず精神的・肉体的にも辛い環境にいるコンサルタントのパートナー達が、若手社員に熱っぽく「これからの産業」「海外マーケットで何が起きているのか」などを深夜語ってきた理由について教えてくれています。

「簡単に達成できる成果目標しか設定されていない組織は、そもそもリーダーが必要とすらされていない」という言葉は、世の中の大勢の「リーダー」が改めて自分たちの存在意義やなすべきことについて考えさせられるものでした。ハッとさせられますね。


2、先頭を走る

先頭を走るのは勇気が要ります。前例がなく、勝ちパターンが確立されていないわけなので、イメージ通りに事がうまく運ばないことが多く、失敗すれば当然責任を問われることになるからです。「これにトライしてみたい人いますか?」という問いかけに対して、皆下を向いて萎縮してしまう光景が良く見られます。

先日受けたのコーチングのセミナーで講師の方が話されていたのですが、人間は最近どんどん賢くなって言い訳も上手くなっていて、何かチャンスを与えられても、「AとBとCをやる必要があって、今、私はAが最重要だと考えていて、なるべく時間とパワーをかけたいのでせっかくですがDを私がやるべきではありません」と、とても頭の良い答す人が増えているそうです。

AとBとCのパフォーマンスも落とさずに、Dにも真っ先に手を挙げて、自らを追い込んだうえでその後ABCをどうするか考えるくらいの前のめりで勢いがある方が、リーダー像としてはふさわしいのかもしれません。


3、決める

充分な情報やデータが出揃っていなくても、限られた時間の中で決めるべき時に決断を下すことができるのがリーダー。未来のことなんて完璧に予想できるはずがないのだから、精密な予測をたてて時間を費やしているうちに、他社に先を越されてしまいます。日本企業には「○○会議で決まったことだから」と、責任の所在を1人でなく会議体の参加者に分散させる独特な慣習ある場合が多い、とありましたが、ある米国企業の経営者のこんな発言が紹介されていました。

「A bad decision is better than no decision.」(悪い決断は、決断しないことよりもまだ評価できる)

なるほどと思わさせられます。

なかには、(決断が正しいかどうかよりも)問題点を浮かび上がらさせるために決断を下す、という場合もあると言います。問題が起こるとリーダーシップ経験やポテンシャルのない人は「その決断は間違っていたのでは?」「もっと慎重に検討すべきだった」「撤回すべきだ」と口々に声をあげますが、そこで浮かび上がった問題点を元に軌道修正をすれば、大勢の利害関係者の意見を聞き回り、全会一致の慎重で遅い決断よりも高い成果に結びつくというのは想像に難くありません。全員が納得するような決断は、だれも決断しなくても自然にそういう方向性に進むことなのでしょう。

4、伝える

「言わなくても(自分で考えれば)分かりますよね」これがリーダーがやってはいけないNGワードだというのです。これは耳が痛いところです。。

「伝わっているはず」「理解してくれているはず」「わかってくれていると思う」というのはたいていの場合、自分の思い込みに過ぎません。粘り強く丁寧に何度も語り続ける必要があります。

全ての人は自分があるものを見れば、自分と同じ感じ方をするだろう、というのは大きな間違い。1人として同じ人間はいなくて、「仮に全く同じ人間が組織に2人いるなら、片方は必要ない」とまで書かれています。多様な人がいるから各々が良い部分を発揮すれば相乗効果で組織は高いパフォーマンスを発揮します。多様性のある組織は強いのです。

厳しい環境下でこそリーダーの言葉やメッセージ、メンバーを鼓舞する言葉の価値は、時として報酬や人事評価よりも高くなるといいます。
今日は、本書のハイライトの1つと思われる部分を紹介してみました。履き違えてとらえてしまい、「自分で目標を掲げて誰にも耳も貸さず全部自分で決めて勝手に走って周りには結果報告」という悲惨な独りよがりにならないように気をつけなくてはいけませんね。

採用基準-①リーダーシップの重要性

戦略コンサルティングファームマッキンゼーにて12年採用マネジャーを務めた、伊賀泰代氏の著書です。マッキンゼーがどんな人材を欲し、どんな人材が活躍しているのかといった話に終始するのかと思いきや、それに加えて日々仕事に取り組むうえでとても得られるものの多い良書でした。

(※2013年に書いた内容なので今読み返すとかなり色褪せています)

採用基準

採用基準

 

 マッキンゼーが最も重視する人材の能力の1つが、「リーダーシップ」。

「同じ組織にはリーダーなんて1人や2人いればいいのではないか」
「みんながリーダーシップを発揮して主張したら、船頭多くして船山に登るになってしまうのではないか」など、日本企業では受け入れられにくい能力とされていますが、筆者はこう言い切っています。

「全員がリーダーシップをもつ組織は一部の人だけがリーダーシップをもつ組織より圧倒的に高い成果を出しやすい。」

ここでは省略しますが、どうチームの成果に違いが出てくるのかという理由を非常に明快に説明しています。


では、全員がリーダーシップを発揮できる組織を作るにはどうしたら良いのか?

それはメンバー1人1人に規模の大小問わず、何らかの「リーダーシップ体験」をする機会を提供することだと言います。その領域・その分野についてはそのメンバーが責任をもって周囲の人たちをリードし、意見をまとめ上げ、結果に結びつける経験を積むことがその近道だと。すると、利害関係の異なる周囲のメンバーや他部署の人間との調整、予期せぬ問題点、どれを実行し、どれを捨てるかの優先順位、などリーダーシップを発揮するうえでの難局を経験し、組織を動かして成果を出すことができた時に、「自分がリーダーとしてこのプロジェクトを成功させた」と大きな自信につなげることができます。

そうしないとどんなことが起きるか?

●全体の方向性に影響を与えない細かいことにこだわる
●現実的でない理想論をふりかざす
●面倒なことが起こると突然無関心を装い、いつの間にか自分の役割を離脱
●詳細な計画が完成するまで何も始めたくない
●一切の妥協は許すべきではない
●明文化されない限り、何もやるべきではない


と、理想や完璧を追求したいという思いから発生する非生産的な意見が飛び交い、前に進めなくなってしまいます。目まぐるしく状況が変わるビジネスにおいて、スタートまでの数日の遅れが競合に出し抜かれる悲劇につながりかねません。この部分、自分の発言や行動を振り返ると反省しきりです。僕自身、ディテールにこだわったりロジックが完璧にしてから「満を持して」取り組む、着手するという悪いクセがあるのでそれを断ち切らないといけません。

「満を持する」とは、弓をいっぱいに引きしぼった状態を維持するところから、「充分に準備をして絶好の機会をうかがう」という意味だそうですが、満を持していたら、弓が切れてしまったり、矢が折れてしまったり、腕が肉離れになってしまったり、後ろから鉄砲で撃たれたりしてしまうリスクが潜んでいます。さっさと弓を放って次の弓を準備したほうが懸命なのでしょう。

 

先日、朝起きたらなぜか乱世になっていて足軽の部隊が家に攻め寄せてくる直前。大軍が押し寄せる轟音のなか、普段家が散らかっているのが災いして「あの鎧と武器はどこに閉まっておいたっけ!と慌てまくり、刀も研いでおらず、服や積ん読やランニングウェアをかき分け、錆びきった刀と鋤と鍬をなんとか倉庫から引っ張り出してくるのが精一杯で、先頭の足軽の一太刀を受けて自分の刀が折れてもはやこれまでか、というところで目が覚めるという悪夢を見ました。

「No準備で独り相撲(討ち死に) 」というのも駄目な仕事の仕方ですね…

続く。